MASTER:鮎
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nowhere

紫陽花奇譚
海の向こうの国に、手鞠のような美しい花があるという


「暇さー」
「暇って……お前は、ったく……」
 どういう仕組みかは全く知らないが、現世とは異なる次元にあるこの神界にも、雲が浮かんでいるし、雨も降るらしい。昨晩遅くに降り始めた雨は俺が早朝トレーニングを始める頃にはちょうどやんで、どこから出ているかよくわからない朝日を浴びた草花が宝石のようにきらきらと輝いていた。最早やらないと落ち着かないレベルで身についてしまった朝の筋トレは、魂魄体となった今ではどれだけやってもやらなくても筋肉量の増減は期待できないのだが、やらないと心の奥底がどうにも落ち着かないので、俺は生きていた時と同じように、趣味に励んでいる。
 封神台から神界に引っ越してきて、何が大きく変わったかと言えば「神様としての仕事」が入ってくるようになったことだろう。十二仙として洞府を構えていたころは、弟子がいれば弟子の育成に励み、弟子がいなければ己の修練に励む、そんな毎日だった。時折慈航と模擬試合をしたり、文殊や玉鼎に茶菓子に呼ばれたり、雲中子や太乙の実験に強制的につきあわされたりした時もあったが、基本的に「仕事」という概念から遠ざかっていたんだなぁ、と今なら思う。
 最も、十二仙クラスの俺に回ってくるような厄介な「仕事」はそうそうない。人間界で何かがあった時に、あくまでも「そっと」手助けをするのが神の役目で、問題を解決するのはあくまで人間たち自身だ。峠を越えて伝令に走る男が途中の道で疲れ果てて祠で休んでいた時は「気合だ、気合を込めろぉおおお!」と念を送ったり、強敵に一騎打ちを挑まれて震えおののきながら祈りを捧げた戦士の背後で、「ファイトでーす、ガンバでーす!!」と応援してやったり。まぁ実はその程度のことは、別に俺でなくてもできることなので、そのうちに俺のような仙人はむしろ神界の調停役やもめごとの解決役として中で動くことが多くなり、「神としての仕事」は少なくなっていった。

  ところで、俺の横で俺と同じメニューをこなしながら「暇さ」などと文句を言う弟子の方だが。
「お前の『仕事』はどうしたんだい」
「んー、最近ようやく人間界も落ち着いたみたいで、俺っちも仕事干され気味なのさ」
 天化は今のところ、武成王……じゃなかった、黄飛虎の息子として神界に居を構えている。その黄飛虎は、と言えば、もともと生きていた頃から多くの人に慕われ、尊敬されてきた人物だ。彼の世話好きな性格はあの凄惨な戦いの結末を経ても健在で、時折元始天尊様に「やり過ぎだ」と言われるほどに人々を助けてしまうこともあるらしい。
  ある時、国を出奔して亡命しようとして、黄飛虎の助けで九死に一生を得た人間が、どういうわけだか助けてくれたのは同じく民を思って国を出た英雄・武成王黄飛虎に違いない、とぴたりと当てて、立派な廟を山の上に作ったことがあった。その頃はまだ黄飛虎がどんな人物で、どんな家族構成で、どんな戦いをしてきたか、という情報は割とはっきりした形の伝承で人間界に残っていたものだから、そのうち廟が大きくなると、黄飛虎の家族や部下、かつて敵対した将兵たちも神として祀られ、廟を建てられるようになった。神界や仙人界側は当初慌てたが、廟を通じて人間たちの悩みや世界の異変の情報を集めやすくなった、という利点もあって、今では黄飛虎たちだけではなく、俺たちの知らない間に封神された弱い妖怪仙人や仙人骨を持たないにもかかわらず封神された人間たちさえも、神としての名を持って一つでも多くの廟を建ててもらおうと仕事をこなしている。仕事を多くこなせばこなすほど、神としての名前が知れ渡り、人々の信仰を集め、それが魂魄体である俺たちの新しい力の根源になるからだ。中には封神されてから有名になり、生前とは比べ物にならない力を手にした者もいる。最も、流石に元から高い仙力を持っていた十二仙・十天君クラス、仕事をしなくても勝手に信仰が集まる黄飛虎や聞仲あたりを抜き去るほどではないが……。
 で、肝心の天化は、というと、武成王黄飛虎の息子としてやはり同様に崇められ、武芸に優れていたということで、勝利を導く戦神としての信仰を集めるようになった。なぜか話に尾ひれがついて、昔太公望が彼に渡した宝貝・火竜ヒョウを自在に操ったことから、焔の神としても崇められているらしいが……まぁどちらにせよ、数年前にかつての周の武王を彷彿させるような指導者が国を治めはじめて以来、戦いに縁のある神様としての仕事はあまり舞いこんでこないらしい。「医者と一緒さ、仕事がない方が平和ってやつさ」とはよく言ったものだ。
「だからって、飛虎どのの仕事も手伝わずに、ここに入り浸るのは、俺はいいことだとは思わないがなぁ」
「親父がいいっつったんだからいいのさ。親父にはお袋も、聞太師もいるし、他にも新しい部下ってのがいっぱいいるさ」
 黄飛虎の兄貴風は神界にいても効力を存分に発揮するようで、神になってから彼の名前にあやかろうと思ったり、純粋に彼に憧れて近づく者たちが、妖怪・人間問わずに訪れるようになった。時折聞仲が雷を落としながらも、黄飛虎はそうやって慕ってくる者たちを、奥方共々よく面倒を見るものだから、どうやらこの寂しがり屋は父親を取られてたまったストレスを、俺と一緒に汗を流すことで発散することにしたらしい。
(まぁ、健全な発散方法だからいいんだが)
 預かる身としては、それならもっと神としての何かを伸ばしてやるとか、為になることをしてやればいいのだと思うのだけれど、いかんせん魂魄体の身なので、昔みたいに日が暮れるまで走り込んでみたり、剣を打ち合ったりする必要がない。天化もそれをわかっているのか、あの頃のように模擬戦をせがんでくることもないのだけれど、どこか不満げというか、物足りなさを感じてはいるようだった。はたしてそれがこの筋トレで発散されているかどうかと言えば、難しいだろうなぁと思う。
(うーん、何か仕事でも探すかな?)
 太乙や雲中子から定期的に届くニュースに何かめぼしいものはなかったかと思い返して、俺は一つ名案を思いついた。


「あじ……さい?」
「綺麗だろう?」
 かつて住んでいた洞府とそっくりに建てられた建物の、自室に放りっぱなしだった手紙を開いて、俺は天化にその花の絵を見せた。小さな花々が集まって手鞠のような形を作り、それが茂みの中からいくつも顔をのぞかせている絵だ。色は株によって違うらしく、深い青紫の色をしているものもあれば、鮮やかな桃色で彩られたものもある。
「まぁ、綺麗だけど。これ、どうしたさ?」
「最近じゃ海の向こうにも廟が作られるようになっただろう? その海の向こうの国で咲いている花だそうだよ」
 何より面白いのは、その花の名前だ。名前こそ『あじさい』と呼ぶらしいのだが、それを漢字で書くと『紫陽花』になるらしい。
「どうやったらそう読むさ?」
「当て字だそうだ。陽だまりに紫色に咲く花、と言ったところかな」
 懐かしい『青峯山紫陽洞』の名前によく似た名を持つ花。雲中子が生物標本として入手したものを、太乙が名前を面白がって手紙によこしてきたのだ。気が利かないのはそれが「絵」だという点で、もし種子か何かを送ってもらえればこっちで育てられたのに、と思う。
「……俺っち、この世界がどうなってるのかよくしんねぇけど、種植えて育つんさ?」
「雨だって降るし、雪が降る前には木だって紅葉するんだから、大丈夫なんじゃないか?」
 俺だって仕組みはよくわからないが、あの公主の弟である燃燈が創ったっていう世界だから、そういう所にはきっとこだわりはあるだろう、と、俺は妙な確信を持っていた。いずれ全ての仙人がここに住むことになるのだから、浄室からわずかに見える花々を楽しみとしていた公主を思って、そんなからくりが施されていても、何ら不思議はない。事実、ここに移り住んでもう随分と経つが、季節の移り変わりに不自然さを覚えたことは一度もない。


  仕事以外で人間界に出かけるのには、一応それなりの許可がいる。ましてや、今回はあわよくば『紫陽花』の種か苗を手に入れようというのだから、元始天尊様も最初はかなり渋い顔をしていた。だが、まぁそこは身内びいきもあるのだろう、持ち帰ったら「仕事先でもらった、ということにするのじゃぞ?」と念を押されて、どうにか許可をもぎ取ることに成功した。
「人間界、久々さー」
「俺ほどじゃないだろう?」
「まぁ、そうだけど」
 ちょっと行かなかっただけで、別世界みたいに発展してるからびっくりするさ、と天化は笑う。その「ちょっと」という単位が、数値に直せば数十年、下手すると数百年になるあたり、もうこの子も立派な仙道の一員だなぁ、と思う。
「にしても、年中咲いてる花ってわけじゃねぇっしょ? 今行っても咲いてるもんかねぇ」
「そのあたりは大丈夫だ。雲中子が調べてくれているからね。どうやら雨の多い今のような時期がちょうど最盛期らしい」
 神界はかつての崑崙山と同じような季節の移り変わりがあり、それは今の人間界とある程度リンクしている。海の向こうの国も、多少は違えど梅雨と呼ばれる時期があって、『紫陽花』はその時期に多くの花を咲かせ、地上を彩るそうだ。十二仙の中ではいっとう海の向こうの国の事情に詳しい慈航や普賢によれば、彼らを祀ってくれている「寺」と呼ばれる施設でよく咲いているらしく、更に文殊からは「入手したら私にも分けてほしい」と依頼されている。天化も、花の話を聞いた母や叔母が「見てみたい」というものだからと、最初は話半分に聞いていただけだったのに、今やかなり乗り気になってくれていた。
「そういや、コーチはどうして『青峯山紫陽洞』って名前にしたさ? 花の名前とかは関係ないんかい?」
「いいや? 俺があそこに洞府を開ける前から、あの山の名前は『青峯山』だったし……ああ、確か俺の前にあそこで洞府を開いていた仙人が『紫陽真人』だったから、だったとおもうぞ」
「んな適当な……前住んでた人はどこ行ったさ?」
「うーん、よく知らないなぁ。俺も普賢ほどじゃないが、十二仙じゃ若い方でね。崑崙山が開いたことからいる爺さんたちに聞けばわかると思うが」
 少なくとも自分が仙人の免許を取った時、そこには誰も住んでおらず、元始天尊様から空いているからそこに居を構えよ、と命じられたはず、と言われて、天化は興味を失ったかのようにふーん、と流した。
「どっかで花の名前と洞府の名前が繋がってるかと思ったさ」
「世の中には偶然って言うのが結構存在するものだよ」
 その偶然が、互いを引きつけて新たな『必然』をもたらすこともあるもんだ、と言えば、そう言うこともあるんかねぇ、と天化は疑問符を浮かべながら返す。そんな話をしながら、俺たちはいつの間にやら神界と人間界を結ぶゲートの傍まで来ていた。
「ここから人間界に行って、んでどうやって海を越えるんさ? 黄巾力士もねぇし、魂魄体で飛んでいくってったってだいぶ距離があるさ」
「ああ、このゲートは海の向こうの国にある廟……いや、『寺』か、それに直接繋がってるんだ。だから何日も飛び続けるなんて必要はまったくないぞ」
 なーんだ、てっきり大旅行みたいなものかと思ったさ、と、少々残念そうに天化が言う。さすがの元始天尊様も、他の神々の手前、そんな自由は許しちゃくれないさと笑って、さぁ行こうと天化の手を取ってみる。もう子供じゃない、と言って振り払われるかな、と思ったが、意外にも天化は気にせずに握り返して、「ん、行くさ」と返してくれた。なんだ、まるで生前のあの頃に戻ったようだな、と、俺の心が温かくなる。


  ゲートが発動して視界が真っ白に染まる。キン、とした耳鳴りが響くのが収まるのを待って目を開いてみれば、そこは見慣れたものとは少々趣の異なったお堂の中だった。人が三,四人入ればいっぱいかと思うような小さなお堂は、中央奥に祭壇を構え、古びてはいるが太くしっかりした木の柱に支えられている。像が収められているだろう壇の扉は閉じられているにもかかわらず、凛とした佇まいと威厳を兼ね備えていた。俺と天化はその閉じられた扉に一礼をすると、そっとその小さなお堂を出る。
 外はつい先ほどまで雨が降っていたのか、地面は少しぬかるみ、空はまだどんよりと曇る中、幾筋かの太陽の光がこぼれおち、薄い虹を作りだしていた。魂魄体だから当たり前だが、地面にいくつもできた水たまりに俺たちの姿は映らない。「何度見ても不思議っていうか、慣れねぇさ」と天化が愚痴る。まぁしょうがないだろ? と彼の肩を叩いて、俺たちはお堂を囲む垣根を越えた。
「『紫陽花』、どこさ?」
 聞いていた話では、山の斜面に沿って紫陽花専用の庭を作っているということだったが、どうやらこちら側からは見えないらしい。人里からは離れた場所に立っているのか、山の上から見る景色は少し寂しげで、東の方に流れる川の向こうにようやくそれなりの規模の町が広がっているのが確認できる程度だ。天化は周りの景色には興味がないのか、さっさと次行くさ、と踵を返す。出てきたお堂は小さくはあったが、綺麗に切りそろえられた垣根、手入れされた境内の木々の様子から、それなりに大きな規模の施設であることは容易に想像ができた。

「今度はあっち、探すさ」
「こら、指を指さない」
「べっつにー、誰かが見てるわけでもねぇし」
「俺が見てるだろ」
 こういった宗教施設を管理する人間の中には、ごく稀に俺たちの姿が見える人間もいる。時が時なら仙道にスカウトされていたかもしれない、仙人骨を僅かにでも持つ人間。殷周革命以来、妖怪仙人に怯えることが極端に少なくなった人間は数を増やし、そのために『最初の人』の特徴を色濃く受け継ぐ仙人骨の持ち主の血も薄れた。今ではスカウトしても宝貝一つ持てるか怪しい程の能力を持った人間しか地上にはいない。それでも、僅かにその血を持つ者たちは俺たちという『同胞』に惹かれるのか、いつの間にか神々のいる場所と深い縁を結ぶ者が多くいる。海の向こうのこの国も例外じゃないだろう、と俺は天化をたしなめて、ふくれっ面の彼の手をまた取って歩きだそうとした。


「どなたか、おられますのかな?」


 老齢ながら、低く優しく響く声がしたのはその時だった。振り向くと、見慣れない紫の衣を纏った老人が、箒を片手に笑みをたたえてたたずんでいた。
「どなたかの、声が聞こえたように思うたのですがのう」
「御老人……俺たちの姿が?」
「ふぉっふぉっふぉっ、声は聞こえど、見えはせず。じゃが、悪しき者のようではないようでおじゃりますなぁ」
 天化は目を丸くして固まっていた。人里に下りることがあっても、自分たちの存在に気付く人間に触れたことがあまりないのだろう。天化の手を離し、大丈夫だと頭を撫でて、俺はその老人に向き直る。
「このお堂に、『紫陽花』と呼ばれる花が咲いていると聞き、見に参りました。もし、分けていただけるのであれば、種か苗を所望したいのですが」
「おや、『紫陽花』を知らぬと。もしや、そなたたちは異国の神々かのう?」
 この国の者ならば、『紫陽花』を知らぬ者などおらぬ、と老人は言って、ついてきなされ、とゆっくり歩き出した。


「先代は以前、この山の麓に居を構えていた渡来人と交流がありましたのじゃ。大陸の方々は、それはもういろんな知識をお持ちでごじゃった。小僧の時分よりこの寺で奉公しておった私も、目を輝かせるばかりの宝物を、その方々は両手に余るほどお持ちでおじゃった」
『寺』にいる者たち特有の、丸く刈られた頭に、紫衣の袈裟を纏ったその老師は、恐らくこの寺の最高責任者だろう。神妙な面持ちでついていく俺たちの姿は彼の申告通り見えていないのだろうが、そんなことは全く気にならないようで、紫陽花園へ続く坂道をゆっくりと下りながら彼は昔話を続けた。
「その中には、大陸で祭られておるという神々の伝承もありましたのじゃ。我らの慕う仏様も、元をたどれば大陸の方々が慕う神が姿を変えたもの。ならば寺にお祭りしても問題ないじゃろうと、我らは境内でも里がよく見える一角に堂廟を建てたのですじゃ。じゃが……」
 声のトーンが一段落ちて、老師は小さくため息をついた。
「流行り病が、里を襲ったのですじゃ。先代も、我らも、里の者も、皆一心に仏様にお祈りしたのじゃが、それでも半数の者が三途の川を渡ってしもうた。渡来人も、皆、いなくなってしもうた」
 無理がたたり、先代も病が過ぎ去った半年後に息を引き取り、寺は継ぐ者もなく一度廃れたという。
「まだ幼い時分じゃった私は、いつかこの寺を復興させようと思うて、修行にはげみもうした。里は廃れ、人は川向こうの町へ移り住み、世話をしてくれた皆々は、ここではなくあちらへ新しい寺を建てればよい、と言うてくれたのじゃが、私にはここで過ごした日々がどうしても忘れることができなかったのでごじゃります」
 園は、この先にごじゃります、と御老人は箒を少し前に傾けた。太い松の木々に隠れてひっそりとたたずむ門の向こうに、東屋の屋根が見える。
「ここは、昔は死んだ里の者たちを埋葬した墓場になりまする。私が寺に戻った時、そこは荒れ果てた地獄絵図のようでごじゃりました。獣に荒らされ、心なき者の盗掘を受け、お堂に安置されていたはずの仏様も、丁寧に埋められたはずのお骨も、砕けて散らばっているような有様でごじゃりました。じゃが、異国の神の像が一つきり、まるで私の帰りを待っていたかのようにすっくとたたずんでおじゃりましてなぁ」
 何十年と時間をかけて、老師は寺を再興し、整備したという。参る人もいなくなった墓場は改めて整地し、希望した子孫には街に近い別の墓場を用意して祀りなおし、そして元墓場だったこの斜面に、老人は花を植えたのだという。
「病が流行り申したのは、雨月の長雨の続いた時期でごじゃりました。弔い花に使えそうな花は皆水の為に腐り、残ったのはこの『紫陽花』だけでごじゃりました」
 鍵のかかっていない木の扉を、御老人はよいしょ、と押しあける。実体があれば手伝ったのにと、悔しそうに言う天化に、此度のお客様は優しくいらっしゃいますなぁ、と笑った。
「他にも、来ていた者がいるのでしょうか」
「異国の神様は初めてでごじゃります。いや、私が気付かぬだけでごじゃったかもしれませぬなぁ」
 寺を再興している間も、山に棲む動物に荒らされたり、無人の寺だと思ってやってきた盗人に襲われそうになったりしたという。一人でやっつけたのさ? と聞く天化に、最初は一人だったが、今はたくさんの町の者が協力してくれている、と彼は言った。
「今日は街で大きな祭がありますのじゃ。私以外のものは皆手伝いに出かけましてごじゃります。そのようなことでごじゃりますから、どうぞごゆるりと、お楽しみ下され」

  ゆっくりと押しあけられた先に広がったのは、青。
 
  晴れ上がった空の色を写し取ったかのような青が、眼前の坂道の両脇を彩っていた。いくつかの小さなお堂が坂道の途中に建てられていて、その周りにもまた鮮やかな青い紫陽花が咲き乱れている。恐らくは麓まで続いているのだろうその坂道は大きな曲線を描き、その先を紫陽花の海に沈めて先が見えない。俺は息をのんだまま立ち尽くし、天化も感嘆の声をあげて魅入った。


「弔い花、ってじいちゃん言ってたさ」
「そうだな。『紫陽花』の『紫』は、この国では『死』と同じ音を持つそうだ。雨が多く、病の流行りやすい時期に、雨に負けずに咲く貴重な花だから、そう言った需要もあるらしい」
 天化は残念そうに、それじゃあ人にあげるのにも、洞府に飾るのにもむかねぇさ、と言った。
「そんなことはないぞ。ここの『紫陽花』は『青』色だ。この国では、『青』は『セイ』とも読み、それは『生』の字と同じ音になる」
 濡れた地面に枝で字を書きながら、俺は『紫陽花』を『生と死を受け持つ花』だと天化に伝えた。ああ、だからここの『紫陽花』はみんな青い色をしてるんさね、と天化は穏やかに頷く。凄いさ、うん、凄い。何度かそう呟いて、ここの『紫陽花』は強いさ、と花を撫でた。
「神界には向いてる花だろう? 俺たちは『死』んだけど、魂魄はまだ『生』きている」
「ふふっ、そうさね」
 どこまで広がってるか、見てくるさ! と天化は坂道を転がるように走りだす。魂魄体だから、花にぶつかって潰してしまうことはないだろうけれど、俺はこけるなよ! と大きな声で返して、俺は坂道の中ほどに立つ小さなお堂の一つを覗く。
  人の為ではない、像を納める為だけのそのお堂の中に安置されていたのは。

「偶然が、重なって必然に。うん、そういうことも、この世の中にはあるものだなぁ」

  もう滅多に人間界で聞くことのない、神としての名前が刻まれている祭壇に、双剣を携えた戦神の像。


「じいちゃん、いっぱい分けてくれたさね」
「こっちが文殊の分、普賢や慈航も欲しがっていたから、これはそっちに。ああ、賈氏殿や黄氏殿の分はあるか?」
「大丈夫さ。余った分、もらってもいいさ? 叔母さんが、姜貴妃様にもお分けしたいって。親父もたぶん興味持ってるし」
「ああ、いいぞ。あ、でも三株残しておいてくれ。一応元始天尊様と、太乙たちへのお礼の分を取っておきたいな」
「了解さ」
 魂魄体では運べないから、と、御老人にはあの景色のよく見えるお堂の祭壇に株を置いておいてほしいとお願いした。ゲートの転送装置を使えば、気を利かせて山のように積まれたその株を難なく神界に運ぶことができる。
「いっぱい咲かせて、増えたらもっと分けられたらいいな」
「でも、こっちでは何色に咲くさ?」
 できれば青色に咲いてほしいさ、と天化が言う。
「俺は紫色でも構わないなぁ。なにせ『紫』陽花だから。それに、もしかしたら『桃色』に咲くかもしれない」
「師叔のこだわりで、桃もいっぱい植わってるかんね、確かにそうかもしんねぇさ!」
 ここは戦いを終えた神々が休む桃源郷。人の行く末を見守りながら、移り行く世界に躓く人たちをそっと手助けする神々の、癒しになる花であればいい。俺はこの花の名前が『紫陽花』であることを、今更ながらに感謝した。
 




そろそろ全文公開してもよさげな空気だったので、夏のぱく旅に合わせまして。

まさかの大トリをお願いされて大層ビビりました、はい…心臓止まると思ったわ、いや止まった

久しく、と言うかほぼほぼ長編を書いたことがなかったので、どんなもんやらと思いつつ、せっかくのオタク人生、一度くらいアンソロジー なるものに参加してみたい!と思って書きました。さりげなく「灯籠祭」の話とセットで考えてたお話です。あとは長年勘違いしていた「"紫 陽"花」と「"紫陽"洞」が無関係であるという考察結果を材料に。

ちなみに本編後半で出てくる寺院は実在しません!!が、モデルとした紫陽花の名所はあります。(観光地からだいぶ外れていますが、京 都・大原野方面にある、西国三十三所第20番札所・善峯寺です。樹齢600年、長さ40mあまりの遊龍松でも有名。市街地から離れてるの でゆったりできるし、何より紫陽花の谷のような庭がとても好き)

本当はもっと別の暗い話を用意してたんですが、あまりにあかんすぎて、それは個人誌の方にまわりました(「雲霞に消ゆ」)。人様の アンソロで性癖ぶっちぎりの暗い話はあかんやろ(と言った半年後にぶっちぎりかましたやつを書いたわけですが)

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